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昭和、最後のアイドルグループならキャンディーズとピンク・レディー!

昭和、最後のアイドルグループならキャンディーズとピンクレディって、そういう答えが返ってくるでしょう。

遠い記憶を思い出すと(笑)、キャンディーズはデビュー後すぐには売れてなく、ピンクレディーは、あのスカウト番組の『スター誕生』から、スカウトされて、「ペッパー警部」で、すぐ売れた記憶があります。

私も振り付けマネして、ピンクレディの「ペッパー警部」「渚のシンドバッド」は、完コピで踊れたもんでした。子供たちを意識して、簡単な振り付けにしていたのかもしれません。 

ピンク・レディーは、TV視聴者でさえ、その忙しさは解るぐらいで、決して舞台上では、疲れている顔を、されているのを見たことは記憶にありません(さすがプロ)

曲が、ヒットすると、次のシングルが、続々と発売になって(ヒット曲が1曲もない歌手の方がいっぱいいるのに)また、昭和の後期には、楽しみにしている音楽番組がたくさんあったので、ピンク・レディーは、曲から曲への移動で大変だったと思います。

以前、TVの情報番組のゲストがピンク・レディーで、あの当時のことを司会の方が聞くと、「記憶がない!」と、そうでしょう、解る気がします。

キャンディーズは、「年下の男の子」「暑中お見舞い申し上げます」など、サビの部分の手の動きとか、マネしましたね、懐かしい~! 私は、ランちゃんファンでした!

まさか、ランちゃんこと、伊藤蘭が、水谷豊さんと結婚するとは意外、理想のご夫婦です。

キャンディーズは、スクールメイツ出身なので、ピンク・レディーと比較すると、ダンスがちょい高度?(そんなことないか・・・ピンク・レディーファンごめんなさい)だったように思います(笑)

個人的には、キャンディーズの3人が、バラエティ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で、伊東四朗さん、小松政夫さんらと、コントしていたのを、毎回、欠かさずに見てましたね。

キャンディーズの3人は、アイドルでありながら、体当たりの(笑)、悪ガキを好演してました。これまた懐かしい~。

やっぱり「私たち、アイドルですからできません」じゃなく、「何でも全力でやらせていただきます」のキャンディーズの潔さがスゴいです。

もう、スーちゃんこと田中好子さんは、平成21年(2011年)に55歳という若さでお亡くなりになりましたね。

今もみんなの思い出の中に、キャンディーズのランちゃん、スーちゃん、ミキちゃん、ピンク・レディーのミーちゃん、ケイちゃんがいます。

ドキドキ、ワクワクして、楽しい時間をありがとう、これからも、あなたたちは、永遠のアイドルです☆

キャンディーズ 去り際も解散後も見事だった、プロアイドルの女性グループ

キャンディーズは、伊藤蘭(愛称ラン)・田中好子(愛称スー)・藤村美樹(愛称ミキ)の3人女性アイドルグループでした。人気絶頂の昭和52年7月17日、日比谷野外音楽堂でのコンサート中に、解散宣言をし、伊藤蘭が発言した「普通の女の子に戻りたい!」は、有名になりました。

後に、都はるみが一時引退した時の「普通のおばさんになりたい」との言葉は、このキャンディーズの引用したもので、昭和芸能史上に残る衝撃的な出来事でした。

芸能人の引退は、そのタイミング次第で、人気が落ちていても過去の栄光が忘れられず、逃してしまい、いつの間にか仕事がなくなり、芸能界を辞めてからは、残念な結果になることが多いのです。

しかし、キャンディーズの場合は、人気絶頂期での引退。その後、伊藤蘭、田中好子は女優業にすすみ、藤村美樹はソロ歌手活動後に結婚。今となっては、大正解の引退劇でした。

キャンディーズの3人は、東京音楽学院のスクールメイツ出身で、昭和47年4月、NHKの歌番組、歌謡グランドショーのマスコットガールとして、3人そろって抜擢され、その時の番組プロデューサーから食べてしまいたいほど可愛い女の子達との意味で、キャンディーズと名付けられたそうです。

今だった「食べてしまいたいほど可愛い」なんて言ったら、セクハラで訴えかねませんよね(笑)

ランもスーも、ミキも、共に目立った存在ではなく、マスコットガールと言ってもアシスタントに過ぎず、歌手デビューの予定はありませんでした。昭和47年(1972年)たまたま、東京音楽学院を訪れた渡辺音楽出版の社員、松崎澄夫が、3人を見て”可愛い子がいる”と、即座に歌手デビューを決めたのでした。

その翌年の昭和48年(1973年)9月に「あなたに夢中」で歌手デビューし、「そよ風のくちづけ」「危ない土曜日」「なみだの季節」とキャラクターにあった新曲を出していくが、ヒットには至りませんでした。

当時のメインボーカルは、最も歌唱力があるという理由からスーこと田中好子でした。その当時の諸岡義明マネージャーは、次々に出す新曲が売れないのは、歌中心の編成に問題があると考え、お姉さん的存在で他の2人とは、ファン層が違っていたランこと伊藤蘭が、センターメインボーカルを任されることになったのです。

昭和50年(1975年)作詞:千家和也、作曲:穂口雄右の「年下の男の子」を発表したところ初のヒットとなり、2ヶ月後には、同タイルのアルバムもリリース。

そのアルバムには、作詞・作曲の穂口雄右の「春一番」が入っていました。セカンドシングルに、この「春一番」が候補に推したのが、その当時のマネージャーの大里洋吉でした。

渡辺プロダクションのワンマン社長、渡辺晋に「こんなフォーク調の歌詞が売れるはずがない」と 一蹴され、腹を決めた大里は、ソニーの稲垣プロデューサーとキャンディーズのファンクラブに働きかけて「春一番」のシングルカットの要望書を15万枚数も集め、渡辺社長に迫ったそうです。

渡辺社長は、ハガキの山を見て「しょうがないな、こんなものを持ち込まれちゃあ、稲垣、25万枚アドバンスしてくれるんだろうな」と言い、渋々承知したそうです。

スゴッ!さすがのワンマン社長、「25万枚アドバンスしてくれるんだろうな」って、脅しですよね。でも、これが、渡辺社長流のユーモアなのかもしれません(笑)

なんと「春一番」は、50万枚を超える大ヒットとなり、キャンディーズの人気は、飛躍的に高まりました。普通の女の子になるための引退は、その約2年後の昭和53年4月4日のことでした。

ピンク・レディー 年間300億以上売上げたモンスター女性デュオアイドル

歌とアクションがドッキングした新しい分野の新星として現れたのが、ケイこと増田恵子とミーこと根本美鶴代の女性デュオグループのピンク・レディーでした。

歌とアクションがドッキングした分野では、昭和46年、山本リンダがへそ出しルックを売りにアクションを交えて「どうにもとまらない」を歌いだしてから、パンチのある歌に、カラダにぴったりの黒のパンタロンの大胆なデザインとセクシーなアクションが受けて、大ヒットしました。

その分野では、金井克子の「他人の関係」、夏木マリが「銀の靴下」安西マリアが「夏の太陽」、内田あかりが「浮世絵の街」などサイケデリックなファッションとボディアクションを交えてみせる歌を繰り広げたのでした。

話はもどり、ピンク・レディー誕生は、日本テレビ制作のスカウト番組「スター誕生」から、誕生した彗星のようなアイドルだった、スタ誕から2人をスカウトしたのはディレクターで、それがピンク・レディーでした。 

ビクター音楽産業の飯田久彦は、「とにかくの人々にびっくりするようなものを」と、作詞の阿久悠、作曲の都倉俊一、振り付けの土井甫に注文をつけました。

「スター誕生」の時は、二人おそろいのオーバーオールを着て、今から思うとフォークを意識してたんでしょうか?

だからかもしれませんが、ビクターは、二人を「白い風船」と名付けようとしていたらしのですが、作曲の都倉俊一が、そのネーミングに異を唱えて、「ピンク・レディー」を提案したそうです。

「白い風船」だったら、フォーク女性デュオとして、1,2曲で終わっていたかもしれませんね(笑)

「とにかくびっくりするようなもの」をの注文を受けた作詞の阿久悠は、突然のひらめきで、ペッパー警部というパロディ的な物語に、外交官の息子でドイツで育った都倉俊一はシンプルなメロディーに、強烈なビートを聞かせた曲をつけました。

さらに、この非日常的な奇抜な曲名に、びっくりするにはどうしたらいいのかを考え、ミニスカートのミーとケイが大股を開いたり閉じたり、大胆なアクションを演じさせたのでした。

飯田久彦の企てた「びっくり大作戦」は、途方もないうれしい流れに呑み込まれていき、「ペッパー警部」は、あっという間に、ミリオンセラーに駆け上がったのです。

続く「SOS」「カルメン77」「渚のシンドバッド」と、現実感がなくSFシリーズは、ミリオンセラーを記録していったのです。 想像を超えたSFシリーズとなった、この流れの頂点は、200万枚に迫るビッグヒット「UFO」 でした。

子どもたちのアイドルになった「ペッパー警部」の大股開きが、子供たちの好奇心にも火をつけました。最初の頃は、垢抜けない女の子二人が、むっちりした太ももを露出したミニスカートで、下品な大股開きをすると言われた振り付けでした。

が、まず、子どもたちの興味を引いて、発売一か月も過ぎると「ペッパー警部」という歌声と大股開きが、学校や家庭でみられるようになりました。

「ペッパー警部」に続く「SOS」「カルメン77」のシリーズにも、曲を合わせた振り付けがあって、子供たちは、好んでその真似をし続いて「UFO」と、片手を上げるアクションを楽しんだことはいうまでもありません。

大狂乱のピンク・レディーブームは、昭和51年から昭和55年までの5年間でした。その間に「UFO」 195万枚、「サウスポー」180万枚、「ウォンテッド」165万枚「モンスター」160万枚「渚のシンドバッド」 150万枚という売上を記録したのです。

仕掛け人の作詞家の阿久悠は、レコードテープ等の総売上に、キャラクター商品の商標権使用料100億円以上、出版物が約10億円さらに、CM出演料興行収入なども合わせると、なんと!年間300億円以上にも達したと書かれています。

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