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昭和後期のアイドル 昌子&百恵

昭和の後期のアイドルと言えば、スカウト番組の『スター誕生』から生まれた女性歌手たち。

名前をあげれば、森 昌子、桜田淳子、山口百恵、岩崎宏美、ピンク・レディー、柏原芳恵、小泉今日子、中森明菜・・・。また、女優業やバラエテイで活躍している片平なぎさ、石野真子、松本明子も『スター誕生』出身です。

そんな中でも『スター誕生』からの初デビューの森 昌子。

近所の中学生の女の子が芸能界デビューしたって感じで、憧れた女子中高生もいたはずです。

そんな憧れで『スター誕生』に応募してデビュー、人気絶頂期に引退して伝説になった山口百恵です。

森 昌子は、抜群の歌唱力で、デビュー後は、中高生でもあったので『せんせい』が大ヒットしたので、学園ものが続きました。

が、しかし、ポップス系の歌手ではなく、演歌の歌手になっていくのは、周知の事実。その後、森進一と結婚して3男をもうけ、離婚しました。その後、長男が全世界でメジャーなバンド、ワンオクのボーカルになるとは予想もできませんでした。

山口百恵は、出だしは3人から少し遅れるも、自分自身のことを一番知っていた歌手・女優・タレントでした。私が思うに、楽曲「横須賀ストーリー」から山口百恵は、変わりだしたように思います。

変わったんように感じていたのは私たちで、山口百恵ご本人は転機だったかなと思われていたぐらいでしょう。それから、数々の名作曲家との縁もあり、山口百恵は、どんどん自らで、自分自身をプロデュースし、表現していきました。  

山口百恵とは、とても頭がよく、自分自身をよく知っていて、ブレない人。そんな彼女だからこそ、大衆から愛され、伝説となったんだと思います。

去り際も見事、人気絶頂点の頃に、映画で何度も共演した俳優・三浦友和と結婚して、今だ、この芸能界には、もどってはきません。

人生いろいろ、そんな対照的な、お二人の若かりし頃の逸話や秘話をご紹介します。

森 昌子 14歳の少女が絶大なる歌唱力で影響を与えたアーティスト

昭和46年、秋から12年間続いた日本テレビの『スター誕生』は 傑出した歌手をを次々とを誕生させたスカウト番組でした。

昭和末期から平成に活躍する森昌子、桜田淳子、山口百恵、岩崎宏美、新沼謙治、ピンクレディ、中森明菜などの名を上げるだけでこの番組の果たした役割の大きさが解ります。

森昌子は、この『スター誕生』第7回に出場した田舎っぽい中学2年生でした。森昌子は、都はるみの「涙の連絡船」を抜群の歌唱力で歌い居並ぶ審査員等に強い衝撃を走らせました。

初代のグランドチャンピオンに輝いた少女に芸能界の誘いは多かったのですが、父親は歌手になるには猛反対で、
森昌子は母親の内職姿を知っていたので「歌手になって生活を楽にしたい」と父を説得したそうです。

森昌子は、昭和47年7月1日、徳間音工から作詞:阿久悠、作曲:遠藤実の「せんせい」でデビューしました。

『スター誕生』に深い関わりを持ちこの番組から誕生した歌手のデビュー曲を一気に引き受けていただけに、森昌子のスタートにあたって「今の少女が一番欲しがっているものは何だろう」と作詞の阿久悠は考えました。

その時にヒラメいたのは、身近にある先生への淡い恋心ではないかというものでした。

しかしタイトルを「先生」としては、堅苦しい教師のイメージになることから「せんせい」とひらがなにして心の温かみを持った異性の姿に変えたのでした。

作曲は、舟木一夫の「高校三年生」の学園モノで当てた遠藤実に依頼されました。遠藤実は、貧しくて、高校進学できず、色んな職業を転々として、流しを経て作曲家になった苦労人でした。

学校に憧れを持っていた遠藤実は、作詞家の「せんせい」の文字に接すると、すぐ女子中学生のイメージが膨らみ「淡い初恋消えた日は~」のフレーズにメロディーがのって曲がすぐつけられました。 

「せんせい」には、制作部門の一部に、「今時こんな歌が売れるはずがない」と反論反対論がありました。

しかし、発売してみると大ヒットし、続く「同級生」「中学3年生」とヒット。森昌子は、この年からの音楽賞の新人賞を総なめにしました。

翌、昭和48年、NHK紅白歌合戦に「せんせい」で初出場、当時の女性最年少記録の15歳でした。

最年少記録といえば、昭和54年新宿コマ劇場での森昌子公演の座長年齢、昭和56年の紅白歌合戦で「哀しみ本線日本海」で、赤組のトリを務めた時も23歳の最年少でした。

森昌子は、数多くのヒットに恵まれましたが、昭和61年10月、森進一と結婚を機に「さよなら」を引退記念曲に芸能界を引退しました。

ところが、3人の子供を授かるも、平成18年に20年ぶりに新曲「バラ色の未来」をリリースしました。

森進一とは、前年すでに離婚していて、親権は長男が森昌子、次男・三男は、森進一が持ち、養育権は、森昌子が持つという条件でした。

芸能人同士の結婚は、過半数が別れる運命を辿っているのが悲しいものです。

ですが、こちらも長男の森内貴寛は、国内外で活動している有名バンドONE OK ROCK(ワンオクロック)のボーカルTaka。

父母が歌手ということもあり、並外れた歌唱力に、ネイティブのような英語の発音で、これから先が、とても楽しみです。

山口 百恵 芸能界で7年半の活動で伝説になった賢明なアーティスト

山口百恵は、スカウト番組『スター誕生』に、準優勝をして芸能界に入りました。

同年の「花の中三トリオ」森昌子、桜田淳子の鮮烈なデビューに比べると、当初の期待は低かったそうです。

『スター誕生』でデビューした桜田淳子と山口百恵のスタート時点で、光と影だった関係を、その生い立ちにあると、作詞家の阿久悠は自身の著書「夢を食った男たち」で、次のように表現しています。

桜田淳子は、笑顔で1秒で作られる。

山口百恵は、笑顔とわかる表情に変化するまで10秒かかる。

この1秒と10秒の差は、全く別個性であることの証明。人生の背負っている運命というものの重さの差、考えている幸福感への信頼の差、思い描くクセスの差であると・・・。

惜しくも森 昌子、桜田淳子の二人は、阿久悠の作詞で華々しくデビューしているが、山口百恵は、一片の詞を書いてもらったことがなく、大ヒットメーカーから最も縁遠い立場で歌手になっていました。

年齢が同じ3人は「花の中三トリオ」に位置付けられて、昭和48年4月映画「としごろ」で共演、同名の曲で山口百恵は歌手デビューしました。

第2弾の「青い果実」で大胆なイメージチェンジを試み、これがヒットしたことで少女の性行為を連想させるきわどいタイトルと歌詞を歌うことになっていきました。

歌のタイトルをたどると「青い果実」「禁じられた遊び」「ひと夏の経験」「冬の色」「愛に走って」といったもので、作詞:千家和也作曲:都倉俊一コンビが一手に引き受けていたのです。

この当時のことを、後の自叙伝「蒼い時」で屈折した表現で綴っています。

「歌う歌の内容からだったのか、あるいは私の外見のイメージからだったのか、歌手としてデビューしてしばらく経つと、私は、早熟、年齢らしかなる、悟りきったというようなある一定の形容詞で表現されるようになった。 あえて抵抗する気にならなかったが、自分では不思議に思えてならなかった。」と。

ところが、山口百恵は、この致命的と思われた、そのレッテルを新鮮な視点で、作詞と作曲を発表し始めた人物を起用し、新曲を作ってもらい歌うことで見事に塗り替えてしまいました。

制作したのは、作詞:阿木耀子、作曲:宇崎竜童という一件突っ張りモードの夫妻に出会った二人の作品の魅力は、「横須賀ストーリー」「プレイバック part 2」「しなやかに歌って」と存分に発揮されました。

山口百恵は、この流れに乗り、さらにシンガーソングライターのさだまさしに「秋桜(コスモス)」、谷村新司に「いい日旅立ち」を作ってもらい歌ってヒットさせ、昭和50年代を代表する歌手になりました。

山口百恵は、歌手として大成した一方、昭和49年、映画「伊豆の踊子」で三浦友和と共演した事で、知り合い以降、13作品の主演映画のうち12作を彼と共演しています。

さらに、TBSのTVドラマ赤いシリーズの「赤い疑惑」「赤い衝撃」で共演して、愛を深め、昭和54年に大阪厚生年金会館リサイタルで「私が好きな人は三浦友和さんです」と堂々恋人宣言をして、 翌年3月結婚発表と同時に芸能界引退を公表をしました。

そして、昭和55年、日本武道館のファイナルコンサートを最後に引退して、同年の11月11日に赤坂の霊南坂教会で テレビ中継の結婚式を挙げて話題になりました。

人気絶頂期の引退は、芸能界のみならず社会的に大きな衝撃を与え、復帰話がしきりと囁かれましたが、二人の子供を生して、三浦百恵は36年後の現在も 復帰はもちろん自伝「蒼い時」の続編も書かれていません。

山口百恵の芸能生活は、たった7年6ヶ月2週にして、2759日に過ぎなかったのですが、とっても濃密な時期をブラウン管を通してですが、生きていた感じがします。

ここ最近では、 三浦夫妻の長男で、シンガー・ソングライターの三浦祐太朗が、母、山口百恵のカバー集を出し話題になりました。

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