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昭和 歌謡曲 グループサウンド

昭和 歌謡曲のグループサウンド時代は、まさにポップス人気の先駆けとなる軌跡でした。昭和40年(1965年)、ベンチャーズの再来日を契機にエレキギターが爆発的に売れ出しました。

(昭和37年にベンチャーズ初来日するもこの時には話題にならなかった)「テヶテヶテヶテヶ」という音が、エレキサウンドの特徴で、その年の夏に「勝ち抜きエレキ合戦」を皮切りにアマチュアのエレキ・バンドコンテストもテレビで放映されました。

その年の暮れには、加山雄三と寺内タケシが出演してエレキギターを弾きまくる『エレキの若大将』が公開されました。
エレキは、後のグループ・サウンドブームよりも、実は、歌謡曲の方が早かったんです!

昭和39年、ゴーゴーサウンドの『恋をするなら』、エレキギターを取り入れた『チェッチェッチェッ』が、橋 幸夫の歌で発売されました。

翌年の、『あの娘と僕』では、スイム(スイムとは、平泳ぎの型・サーフィンの変形に近い踊り方)の振り付けを入れて歌いました。ライバルであった、舟木一夫も船村徹の作曲でリズム歌謡を歌っていました。

グループサウンズの最盛期には、300を超えるグループがありました。

スパイダースは、ビートルズのリバプールサウンドの影響を受けたグループでした。

デビュー曲は、『フリフリ』、昭和41年、フィリップス・レーベルに移ってから、センチメンタルな『夕陽が泣いている』のヒットで成功を収めました。

同年には、ブルーコメッツが、『青い瞳』を洋盤でヒットさせました。日本盤でも50万枚のセールスを記録しました。

しかし、イギリスのリバプールからやってきた四人の若者のサウンドがすべてを変えてしまいました。

ビートルズの来日!

昭和41年6月、ビートルズが来日しました。

ビートルズの与えた衝撃は大きく、ビートルズの来日は、日本のポップスを変えたといっても過言ではありません。

ビートルズがもたらした8ビートは、旧来の音楽価値を根底からひっくり返したのでした。

6月30日、ビートルズは武道館のステージに立ちました。

コーラス・クラシックの対位法を使ったベースラインの動き、コード進行などは、日本の歌謡界においては戦前から行われていましたが、リンゴ・スターがドラムでタイトに打つ安定かつ洗練された8ビートは、衝撃でした。

それまでとは、まったく異なるフィーリングだったのです。

そして、彼らが、もう一つ見せたのは、バンドによる自作自演でした。

自分たちで作詞・作曲をして演奏して歌う。日本の若者たちは、ビートルズに発狂し興奮しました。

それまで、リトル・リチャード、プレスリーのロックンロール、アメリカンポップス。

ジャズでは、ディジー・ガレスビー、チャリー・パーカー、マイケル・ディヴィスの系譜などに憧れていた若者たちは、いっせいに新しい音楽に目覚めたのです。

これによって、日本のポップスは、新たな時代を迎えたのでした。

グループサウンド(GS)の時代

ビートルズの来日によって、バンドと自作自演が始まりました。それが、グループサウンド(GS)黄金時代でありました。

GSブームの登場は、色々な要素を含んでいました。

ロカビリーの熱狂の再現。エレキギター、キーボード、ドラム中心の電気サウンドの小編成バンドの登場。

70年代アイドルの先取り。8ビートによる日本のポップスの進化やフォーク、ロックへの影響。

とにかく、それは、エレキギターに日本語の歌詞をのせて歌う和製ポップスが発展する起爆剤となったのです。

「ブルーコメッツ」は、「スパイダース」と共にパイオニア的存在でありました。

七・三分けの髪型にダークカラーのスーツとネクタイは大人のスタイルでした。

その後、「ザ・タイガース」、「テンプターズ」などが生まれ、「ワイルドワンズ」が、『思い出の渚』をヒットさせた頃からブームが高まり翌年には、ピークを迎えました。

昭和42年、「ブルーコメッツ」が『ブルーシャトウ』で、レコード大賞を受賞しました。

伝統的な日本のお城のイメージから脱却し、ヨーロッパ風の古城を描いた点がヒットに繋がったのでした。

グループサウンドの中で、最も人気のあったのは、ザ・タイガースとテンプターズでした。

ジュリーこと沢田研二を中心に甘美なサウンドで『モナリザの微笑』、『花の首飾り』などのヒットを放ちました。

ジュリーは、アイドル性が高く、テレビの普及と共に、そのルックスや動きは、歌の視覚的要素を高め人気を集めたのでした。

一方、ショーケンこと萩原健一がいたテンプターズは、『神様お願い』、『エメラルドの伝説』などのヒットがありました。

だが、グループサウンズは、ルックス・アクションを求めるアイドル性が音楽よりも先行すると、人気衰退の原因になりました。

その弊害が急速にブームを終焉させたのでした。

社会的には、エレキギターそのものがマイナスイメージを持たれ、長髪スタイルが不道徳的・反社会的という偏見をもたらしました。

昭和44年(1969年)には、GSブームが下火になり始めました。

そして1970年代には、グループサウンズは姿を消すことになったのでした。

しかし、GSブームは、日本の歌謡曲に電気系楽器中心にした小編成バンド・サウンド時代を到来させ、テレビ時代を象徴するアイドル性の重視を認識させました。

GS最後のブームの頃、フォーリーブスの結成は、アイドル時代の到来を予感させるものでした。

さらに、従来のレコード会社の専属ではなく、フリーの歌謡作家の時代を迎えました。

彼らは、ビートルズの影響を受け、8ビートを想定した楽曲作りとリズムセッション(ベース・ドラムス)の構成によって、フォーク、ポップス系アイドル歌謡、ニューミュージックという新たなJ・ポップの扉を開いたのでした。

沢田 研二 男の色気とジュリーエンターテイメントで昭和の時代をワクワクさせたアーティスト

愛称・ジュリーこと沢田研二は、グループサウンズから生まれ、日本の芸能界のショービジネスを変えた男の評価されています。

高校中退で、17歳からボーカリストとしてグループサウンドに参加、京都から上京して渡辺プロダクションに入りザタイガースの中心となりました。

昭和42年、GSブームの先駆けとして「僕のマリーを歌って」一躍、名が知れ渡り始めました。セカンドシングル「シーサイドバウンド」でヒット、続く「モナリザの微笑」「君だけに愛を」で GS界の頂点に立った以後、ザ・タイガースと沢田研二の一挙一動は、芸能界の話題の的となり、ザ・タイガース解散以降も、ジュリーこと沢田研二の歌は、驚異的なヒットを続けました。
沢田研二のその当時の曲名をあげると、「君をのせて」「許されない愛」「あなただけでいい」「危険なふたり」などタイトルに印象的な響きのある歌でした。

「危険なふたり」はオリコン1位、第4回歌謡大賞を受賞し65万枚を売り上げています。沢田研二のステージがダイナミックな歌唱力に加え、斬新なコスチュームド派手なアクションで注目を浴び始めたのは「危険なふたり」のヒットの頃からでした。

スタイリストとして早川タケジが参加したことで、沢田研二のステージに見て楽しむ要素が強くなり、この勢いに乗って、昭和52年パリに一人で本場フランス進出して、この国のゴールデンディスク賞を日本人として初受賞しました。

昭和53年にかけて、フランス・イギリス・ドイツ・ベルギー各国で、シングル盤を発売します。ハワイ・グアム・シンガポール・香港でコンサートを開催してボーダーレス的な歌手になります。 

沢田研二の代表曲となる「勝手にしやがれ」は、作詞:阿久悠・作曲:大野克夫のオーラを持った傑作でした。

生涯に5000曲作詞した阿久悠が、自分の作品で好きなもの1位にあげているジュリーの最大のヒット曲「時の過ぎゆくままに」

阿久悠が、歌詞にしやがれのヒントを得たのは、当時世界中でヒットしていたフランスのジャン=ポール・ベルモンド主演のフランス映画「勝手にしやがれ」からでした。

最初にタイトルがひらめき、映画の中で女の前で無理をしていい格好するキザな男にテーマにして、大胆な作詞を書いたのです。

そのタイトル作詞とともに、キザを絵に書いたような沢田研二でなければ、様にならない歌だったからです。

沢田研二は、この歌を歌っている最中に、かぶっているパナマ帽を客席に投げるパフォーマンスを行っていました。奇しくも「勝手にしやがれ」を歌うことで日本のショービジネスは変えられました。

私生活では、27歳の時7歳年上のザピーナッツの姉・伊藤えみと結婚します。一子を授かるも、7年後、一説には18億1800万円の慰謝料を払って離婚し、女優の田中裕子と結婚しました。

GSブームは、短い時で終わりましたが、沢田研二というタレントは半世紀の後も往年のオーラを放ち続けています。

昭和47年、TVドラマ「寺内貫太郎一家」の中で悠木千帆(現在:樹木希林)が、貫太郎家のおばあちゃん役で、仏壇のある自分の部屋に飾ってある沢田研二のポスターに向かって、「ジュリー〜!」と叫ぶのが行事となっていて、その場面を見落とさない様にスタンバイしてドラマ観てました、懐かしい~。

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